2014年8月5日

中国地方の森と「もののけ姫」

中国地方の森と「もののけ姫」


禿山だらけだった江戸時代   

 岡山に来る前から、中国地方の森に違和感を感じていた。なんとも
「浅い」のだ。東北で見るような「神秘の森」がない。なぜなのか不思
議に感じていた。

 今の日本の森の蓄積量がどれほどあるのかご存じだろうか。今の森の
蓄積量は史上最大だ。ただし植林された森は手入れされず、荒れ果てて
しまっている。今の森に必要なのは間伐などの手入れであって、植林で
はない。ただし伐採したなら再植林が必要だ。そのときはこれまでのよ
うにスギ・ヒノキだけではなく、広葉樹を植えていきたい。

 江戸時代は循環型社会だったともてはやされるが、森だけは違ってい
た。里に近い森は姿を消し、浮世絵に描かれたような海に突き出したマ
ツ以外は禿山だらけの状態になっていた。江戸が人糞までもリサイクル
していて清潔な都市であったことは有名だが、そうしなければならない
理由があった。


 その食卓を支える農家は常に堆肥不足に悩んでいたのだ。堆肥づくり
のために人糞と混ぜ合わせるものが「柴」だった。「おじいさんは山に
柴刈りに、おばあさんは川に洗濯に」の柴だ。芝ではない。柴は小さな
木の枝などの総称だ。刈った柴を山に置きっぱなしにして、春になると
降ろしてきては有機物と混ぜて堆肥を作っていた。

 この柴刈りが山の木の成長を抑制した。木材もまた建築や家具などの
用材だけでなく煮炊きの燃料として使っていたから、山は今のように木
を育てる余裕がなかったのだ。


 この状態は昭和初期まで続いている。東京都水道局所蔵の昭和初期の
山梨県塩山の写真は、一本だけのマツが山頂に見える他はすべて禿山に
なっている。この状態のまま日本は戦争に突入したのだ。「遠山」と呼
ばれる奥地の他は、山の資源は徹底的に使われることになった。敗戦の
後、焼け野原となった都市部に建物を再建するために森はさらに使われ、
ついに保水力を失った山は次々と大規模な洪水を起こすようになった。

 そのため政府は大規模な拡大造林計画を始め、国内の荒れ地にスギ・
ヒノキ・カラマツ等を植えることにした。これがその後の価格暴落によ
って放置され、育った今になって使えない使われない問題を起こしてい
る。

 森は一見すると永遠に続いているように見えるのだが、時代によって
おおきくその姿を変えているのだ。


失われた神秘の森   

 ではいったい、中国地方の森はかつてどうなっていたのだろうか。

 全国と同様に戦時中に過剰に伐採され、禿山に近い状態の場所が多か
ったのだろう。たとえば岡山は、少し前までマツタケの一大産地だった。
マツタケが育つ山のマツは「パイオニアプラント」と呼ばれ、荒れ地に
最初に生えてくるものだ。たとえば火山が爆発した後の土壌すらない荒
れ地に、植林もしていないのに勝手に生えてくるのがマツなのだ。

 マツの根が岩を割り、わずかな土壌を作り出すと次の樹木が生えてく
る。他の樹木が育つと、ひっそりと枯れていくのがマツの宿命なのだ。
そのマツに着くのがマツタケなのだから、それ以前は火山並みの荒れ地
になっていたと考えていいだろう。その後に生えた木が今の森だから、
原生林のような神秘的な深い森ではないのだ。しかも岩がごつごつ表面
に出ている山が多いことも、それらの山が禿山にされたときに土壌を失
っていた証拠だろう。

 しかしそれでもまだ納得できない。他の地域なら奥地に入れば深い森
がある。ところが中国地方では、本格的な登山をしない限り深い森に出
会えないのだ。近くの山に千年経つスギの木があると聞いて行ってみた。

 千年近いスギは確かにあった。近くには奈良時代に建てられたと伝え
られるピラミッド状の石積みと、その後に建てられた神社があった。こ
の森は地域では一番高い山の山頂にあるが、その周囲の森はいつも通り
の浅い森なのだ。




 たまたま神社や古くからの建造物があったために伐採されずに残った
だけで、この高さまでは伐採されていたと見るべきだろう。この木材に
対する異常なまでの執着は何に由来するのか。


 それが「たたら製鉄」だったろう。鉄を鉄鋼にするには炭素を吹き込
むことが必要だ。この炭素源として使われてきたのが木材だった。中国
地方に発達していたたたら製鉄こそが山を丸裸にした原因だった。

 その話は宮崎駿のアニメ「もののけ姫」の設定にそっくりだ。そして
アニメでは最後に山の神が殺され、周囲の神秘的な深い森(原生林)が
失われ、その後は明るい色の二次林(伐採後に生えてくる林)に変わっ
てしまう。それが今の森の様子なのだ。


隠されていた巨木の森   

 ではそもそもの中国地方の原生林はどのようなものだったのだろうか。
それを知りたくて島根県の三瓶山麓にある「埋没林」を訪ねた。






ここは高校長だった松井氏の執念で発見されたものだ。地域で耕地整
理事業があり、水田を集約化するための工事が行われた。そして水田を
掘り進むと、大きな切り株にぶつかった。工事業者は掘り出してやろう
とユンボで可能な5mの深さまで掘り進んだ。

 しかしそれでも根っこにはたどり着かず断念した。そのときの写真を
見せられた松井氏は、即座に確信した。ここには三瓶山が爆発して土石
流に埋もれた太古の森が立ったままの形で存在すると。松井氏は退職後、
私財を注ぎ込んで発掘調査をするが見つからず、後に県の工事によって
やっと発見された。その木々が展示館の地底14mの底にある。延々と階
段を下りていくと、太古の森の風景が現れるのだ。


 樹種は、その標高の周囲の地にはないスギが主体で、広葉樹の巨木も
混じっている。直径は1~2mの巨木で樹高は40~50mあったと推定さ
れる。超高層ビルの高さが60m以上だから、それに匹敵する巨木が林立
していたのだ。しかしその森は火山の土石流で失われた。残った原生林
もまた、その後の人間活動で失われた。


 森を失うとき、人の暮らしも絶滅する。今ふたたび、森の回復期にあ
る。これを人々が守って役立てていけるのかどうかが問われている。森
を整え、様々な樹種の木々を生かしながら暮らせるようにしたい。神秘
の森と人々が共存する仕組みが必要なのだ。


▼島根県太田市 三瓶小豆原埋没林
 http://nature-sanbe.jp/azukihara/