2015年7月6日

『 内側に住む「何か」と暮らす 』~自閉症の真実 ~

 2015.6.27発行 田中優無料メルマガより 転載http://archive.mag2.com/0000251633/20150627180944000.html











『 内側に住む「何か」と暮らす 』   

 ■自閉症の真実  

インターネットで「君が僕の息子について教えてくれたこと」のビデオ※を観た。
とても感動的なビデオだった。重度の自閉症の青年の話だ。

彼は会話することはできないし、奇声を発しながら道を飛び跳ねながら歩く。
その彼が驚くことに本を出している。「自閉症の僕が跳びはねる理由」というものだ。  

彼、東田直樹さんはその見た目とは違って、内側ではものすごく心配りのある青年なのだ。
彼はパソコンを利用してぶれずに表現 する。   

 「僕たちは、自分の体さえ自分の思い通りにならなくて、じっとしていることも、
言われた通りに動くこともできず、まるで不良品のロボットを運転しているようなものです。
 いつもみんなにしかられ、その上弁解もできないなんて、
僕は世の中の全ての人に見捨てられたような気持ちでした。
僕たちを見かけだけで判断しないで下さい。
どうして話せないのかは分かりませんが、僕たちは話さないのではなく、
話せなくて困っているのです。

 …僕は筆談という方法から始めて、現在は、
文字盤やパソコンによるコミュニケーション方法を使って、
自分の思いを人に伝えられるようになりました。
自分の気持ちを相手に伝えられるということは、
自分が人としてこの世界に存在していると自覚できることなのです」と。      

この、日本ではほとんど売れなかった本が世界中に翻訳されてベストセラーになったのには、
もうひとつの物語がある。アイルランド在住の作家デイヴィッド・ミッチェル氏には自閉症の
息子がいる。  

日本語教師の経験があるミッチェル氏は、東田さんの本を日本語で読んだ。まるで息子が
自分に語りかけているようではないか。息子はなぜ床に頭を打ちつけるのか、なぜ奇声を
発するのか。息子とのコミュニケーションをあきらめかけていたミッチェル氏に希望が灯った。  

ミッチェル氏が翻訳した本は、世界中の自閉症の子どもを理解する希望の光を届けた。
ミッチェル氏は来日し、東田さんとの対面を果たした。相変わらず駆け回り奇声を発する

東田さんをミッチェル氏は温かい目で見守り、自分は息子に対してこれでいいのかと聞く。
東田さんもまた、「今のまま子どもを認めてあげるだけでいい」と答える。   


■社会不適応者として  

ぼく自身、自閉症ではないが不適応な少年だった。強制されること、じっとしていることが
苦しくて仕方なかった。思春期を過ぎると、学校の教室に閉じ込められているのがたまら
なかった。

外に出たい。外にはたくさんの出来事があり、学べるものがある。
それなのになぜこんなコンクリートの部屋に閉じ込められていなければいけないのか。  

多い年は年間の四分の一を一人で放浪していた。特に名所旧跡が観たいわけじゃない。
山の中や海岸べりの誰もいない歩道を、ただただ一人で歩くのが好きだった。
言葉にするのは難しい。自然の一部分として自分が自然に溶け込み、自分という存在を
意識しなくていい状態になることがうれしかった。    

『こんな感受性でいられるのは今しかない。
そんな大事な時期に、閉じ込められているのはもったいない。
それよりもっと自然からの声を聞いていた方がいい』
と思っていた。  

学校の成績だけは悪くなかった。しかし素行が悪い。タバコは吸う、酒は飲む、学校に行っても、
すぐに帰ってしまう。教師は手を焼いただろう。結果として高校はいくつも通ったのに卒業でき
なかった。結局、「大学入学資格検定」で大学に入った。  

大学では逆に、ひたすら学びながらせっせと通った。きっかけは試験がつぶされレポート提出
になったことだった。すでに大学にはほとんど通っていなかったから、試験期間も知らなかった。
レポート提出の小包を見てみると、課題図書を読んでレポートを書くだけでいい。    

チャンスかもしれないと思った。それまで、自分の意見を言えば否定されてきた。
どうせ辞めるのなら好きに自分の意見を書きたい。
すると驚いたことに、すべてのレポートが高く評価されていた。大学が自分の考えを作っていい
場所だと気づいて、ぼくは楽しくて仕方なくなった。
今大学で教えているのも、奇妙な巡り合わせだと思う。    

■社会をジグソーパズルに  

人には得手不得手がある。しかし今の社会はすべての分野で一番になれと競わせ、人に順位を
つける。だからどうしても外部の評価に合わせて暮らすことになる。人は個性で判断されるのではなく、「勉強ができる、仕事ができる」といった単一の価値軸で順位付けされる。  

結果、そこそこ無難な分野で無難に自分の内なる思いを抑えて暮らすのだ。しかしぼくには
それができなかった。『強制されたくない、納得して動きたい』という内なる衝動によって、無難
な生活ができなかった。  

ぼくの内側には社会に適応できない『何か』が住んでいた。

それでも就職し、合計で30年以上も勤めていた。早期退職して自分の内側の『何か』に従う
暮らしにすると、気持ちがとても穏やかになった。焦ることもないし、外部の評価も気にならない。

もっと社会に多様な価値軸があるといい。
ジャンルの数が人の数ほどあったら、すべての人が自分の得意分野で生きられる。
そんな社会になったら互いに競うことよりも、相手の得意分野を知ること自体を楽しむことが
できるだろう。    

社会がジグソーパズルのように、それぞれのピースを組み合わせて組成されるものになるといい。
そのとき不要になるのは「あらゆることを自分だけでできてしまう能力」になる。
なぜなら他人が関わる余地もなく、必要とすらしないからだ。  

「ワンピース」という人気マンガがある。そのキャラクターたちは、まさにダメだらけだが一つだけ
得意なことがある者たちだ。それが補い合うことで物語が進んでいく。これが流行るのもわかる
気がしないか。  

必要なのは、互いに色とりどりのジグソーパズルのピースを認め合うことではないだろうか。
それができれば、みんな自分の居場所を持てるようになる。  

ぼくらの社会をもっと寛容な社会にしたい。
『不良品のロボットの中』にだって、人は生きているのだ。      


------ ※ 動画はこちらです ----- 

■君が僕の息子について教えてくれたこと 1/3  The Reason I Jump https://youtu.be/Eq_yb_y4MjM 




 ■君が僕の息子について教えてくれたこと 2/3  The Reason I Jump https://youtu.be/kpZO3cVTTJo 

 


■君が僕の息子について教えてくれたこと 3/3  The Reason I Jump 
https://youtu.be/3gtCpBqf63s